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リレーエッセイ 古賀一郎 第27回
『我が将棋人生を振りかえって』
古賀 一郎






 小堀さんの実に前向きなエッセイのあとに何を書こうか迷ってしまいましたが、他の皆さんのように自分の歴史を簡単にを振り返ってみることにしました。

   私が将棋を覚えたのは小学5年の時で、決して早くはなかった。もっと早い時期に覚えるチャンスはあったのに、とちょっと前までは悔やんでいた。というのも、のちに全国赤旗名人となる才田信之君が小学3,4年のときの同級生であり、彼はしきりに私に将棋を覚えるよう薦めていたのだ。にもかかわらず「こげん狭苦しかゲーム、いっちょんやりとうなか!」(こんな狭苦しいゲーム、全然やりたくない、という意味です)と私は拒み続けたのである。私の家と彼の家はとても近かったので、しょっちゅういっしょに遊んだものだったが、彼と同じクラスにいた2年間ついに盤を挟むことはなかった。
 ところが、5年生になり彼と別のクラスとなると何故か急に覚える気になり、父からルールを教わったのである。小さい頃から私は頑固ジジイで天邪鬼であった。自分がもう少し素直な子供で2年間早く将棋を覚えていたら、私も羽生先生のように神の領域に近づくことができただろうか?そんな訳ないか(笑)。まあ、将棋と知り合うきっかけを作ってくれた才田君には一生頭が上がらないかも。
 そしてルールを覚えるとすぐに将棋にはまってしまい、小学6年のときに才田君が既に通っていた日本将棋連盟鳥栖支部に入会した。高校卒業まではここが実戦をこなす唯一の場所であった。当時支部長であった山下観巳先生は今も後進の育成に励んでおられ、昨年は支部会員の永利竜一君が見事小学生名人戦の佐賀県代表になった。技術よりも礼儀・作法という点でしっかり指導される方が多く、非常に恵まれた環境であったと思う。アマ超強豪の中村清志君、アマ女流棋界の重鎮(?)である足立由美さんとも鳥栖支部で知り合ったのである。

 大学に入ると、幸運にもいきなり1年のときに王座戦優勝という快挙を体験することができた。しかし、そのことで私は学生将棋に対して目標を見失ってしまったのかもしれない。修士課程までストレートで終わらせることを学生生活の第1目標としたこともあり、部室へはあまり顔を出さなかった。そして九大は年々下降を続け、やがて全国大会出場ができない期間が続くことになる。私の部に対する活動が熱心でなかったことが九大低迷の遠因であったと思えてならず、後ろめたさを感じていた。
そういう訳で、昨年王座戦出場の話を聞いたとき、少しだけ胸の痞えが取れた気がした。これまでの罪滅ぼしという訳ではないのだが、今後もできるだけ帰省の際には九州大会の応援に顔を出したい。
 大学3年のときはアマ名人を獲得したことにより、市民栄誉賞を受賞した。鳥栖支部会員であり地元の名士でもある犬尾貞文先生のご尽力によるものであったが、パーティーで地域財界の有力者に酒を注いで回って挨拶をすることは社交的でない私にとって非常に苦痛であった。しかし、マイナー競技である将棋は、機会を見てアピールしていかないと簡単に衰退してしまうだろう。この年になってようやく、貴重な経験をさせてもらった、と犬尾先生に感謝することができるようになった。他のアマトップの方々も機会があったら将棋という素晴らしい文化を是非一般の方にアピールしてほしい、と切に願う。
 就職で埼玉に越してきたのは13年前。九州の代表として関東のメンバーには何が何でも負けてはならない、と最初は反骨精神に燃えていた。でも、西日暮里将棋センターに通い始めると、あっという間に我が精神は皆と同化し、そんなことは忘れてしまった。将棋を愛する人間に西も東もあるわけがなかった。やがて道場で館長と知り合い翔風館に入ることになるのだが、将棋を生きがいとする同世代の人間にこれほど出会えたことは、地方から来た自分にとって一種のカルチャーショックであったし、またこの上ない喜びも感じた。遠藤君、樋田君、嘉野君、小泉君、価値感を共有できたメンバーを数え出したらきりがない。
 そして私は毎週のように道場に通い、対局が終われば切磋琢磨し合った仲間と酒飲んで、朝までカラオケやって、と壊れたテープレコーダーのように同じことを繰り返した。本当に楽しい日々だった。目標に掲げたアマタイトル全冠制覇だが、結局1つとして実現させられなかった。しかし、自分なりにベストを尽くした結果であり、後悔はない。そしてこれからもずっとこういう日々は続いていくのだろう、と思っていた。しかし、転機は突然まとめてやって来た。
 
 自分の居場所であった西日暮里道場がなくなり、仕事に関しても12年努めた職場を離れ今までと全く違う分野について新入社員達と共に一から勉強しなければならなくなった。自分の人生における最優先事項として将棋を選択できないときがやって来るのはアマチュア選手の宿命であろう。ただ、それを言い訳にするのは見苦しいことこの上ないが、今の私は向上心を持って将棋に取り組んでもいないし、大会では石に噛り付いてでも勝つぞ、という執念を掻き立てることすらできていない。こういう自分はアマトップの集団ともいえるTLSチームの主将として適格なのだろうか、と段々疑問に思えてきた。そして何時の間にか、将棋に限らずありとあらゆることについて自信が持てなくなっていた。
 しかし、今でも確信を持って言えることは一つだけある。これまで素晴らしい人生を送ってこれたのは、将棋と出会ったおかげである、ということだ。これまで将棋から頂いた数え切れないほどの恩に報いない訳にはいかない。私にはこれから上を目指す方々を支えていく義務があり、また自分にはまだそれなりの技術が残っている、という自負もある。
 
 将棋に対する意識は変わり、皆とは既に目指すものが違ってしまっているのかもしれない。しかし、今後も研究会にはできる限り参加していきたい。こんな燃えかす寸前の私でも、一度盤の前に座れば自分の持っている全てを表現し、そして何かを伝えることはできるはずだから。


   パイナップルの時と変えてもっと率直に心境を述べようか、と思ったら途中からだいぶ屈折した内容になってしまいました。 こんな自分ですが、甲府サロンそして翔風館の皆さん、今後とも何とぞよろしくお願い致します。

 次は、アマチュア将棋界ではカリスマ的存在であり(サイン入りの単行本「穴熊王」は私の宝です!)、この掲示板にも何度も熱いレポートを投稿してくださっている美馬和夫さんです。この場を借りて、裕之介さん経由でエッセイをお願いした非礼をお詫び申し上げます。この掲示板を見ている方々にも美馬ファンはいっぱいいらっしゃるでしょうね。楽しみにしております!



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