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リレーエッセイ 山内得立 第25回
山内得立






まずは、大幅に書き込みが遅れた事を皆様にお詫び申し上げます。日本全国、山内得立ファンの皆皆様こんにちわ!!私が本物の山得です!色々お話したいこと事があるが、やはり将棋の事から。普通の話をしてもつまらないので、激動の奨励会時代の事を振り返る。奨励会入会が昭和58年小6の時で、振り返れば俺もそこまでは順調な将棋人生だった(笑)同期には、中川、勝又、近藤などで、その前期には言わずと知れた最強57年組で、化け物級に強い人達ちが手の届かない所に居た。そんな人といつか指せる事を夢に見ながら俺は順調に道を踏み外し始めたのである(大笑)義務教育の身でありながらほぼ毎日、日本将棋連盟と言う名の学校に通い始めた。授業内容は、午前10時頃〜午後9時までは10秒将棋、棋譜観戦!たまにはタクシーで新宿の場外馬券売り場に、こずかいを貰い、買いに行ったのを懐かしく思う。おかげ様で競馬は嫌いだ!(当たらないから)しかし問題は午後平均11時以降で、順調に道を踏み外した最大の理由だ!!麻雀、7ポーカ、あいだ、モノポーリーなど上げれば切がない.当然金を賭けての話だ!義務教育を受けてる人間から金を取る大人もヒドイが、大人から金を巻き上げる子供もヒドイ(笑)家にも帰らず、連盟、先輩宅を渉り歩き生活していた。親父の居ない隙に着替えを、家に取りに帰ったのを懐かしく思う。今振り返れば本当に楽しかった(笑)そんな生活が朝夜と果てしなく続き、将棋の方も後輩に抜かれる始末(涙)そんなこんなで早くも人生最大の分岐点、奨励会を(辞める)と言う言葉が14歳の俺に量りしれない重さでのしかかる!当時の俺には(辞める)と言う言葉の重みすら理解出来ないで居たと思う。奨励会史上初の破門!!早い話がクビである!!残るとか居たいとか選択しも無かったと言うか、出来なかった(涙笑)それだけに頭の片隅に未練を感じる。将棋に対してじゃなく、自分の意志で辞める事が出来なっかた事を!!そして俺もいつしか大人になり縁があって山梨県に!!そして劇的な15年ぶりの再会!(奨励会先輩)若林正俊氏に再会し、将棋を始める事になる!サロ中の研究会に呼ばれる!正直約15年駒に触れてなかったから駒を持つ手が震えた(笑)手つきも将棋を始めたばかりのオヤジのようだった(笑)結果も4戦全敗(泣)しかしそれが闘争心に火をつけ又将棋にのめり込む事に!一つ気がついた事は、将棋を愛してると言うか辞められないと言うか良くも悪くも将棋が人生の中心だなと。現在の仕事も、将棋関係者の縁で勤務してている!!今楽しみながら将棋を指せる自分が好きだ(笑)しかし又将棋から気持ちが離れて行く俺がいる!その理由は簡単だ!勝てないからだ(笑)上には、上が居るからだ(笑)又、この書き込みを機会に、将棋に対する気持ちに火をつけるぞ!(笑)やっぱり将棋は楽しい(笑)ここに禁酒、女禁、仕事サボる禁、宣言し(家庭、子供も大事にし)残りの時間を将棋ぎに傾注する事を宣言します!!最後になりますが、山得のクダラナイ文書を読んで頂き有難う御座います!これからも山得を心よりご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。日本全国、山得ファンの皆皆様サヨウナラ!!又の御指名をお待ちしております。




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