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リレーエッセイ 渡辺 久記 第20回
渡辺 久記






永遠のライバル吉田君からバトンを受け継いだ渡辺久記です。
ちょっと過激な部分もありますが、自分の気持を正直に書きましたので読んでみて下さい。


小学生時代〜居玉棒銀で闘う

小学4年生の時、クラスの男子の殆どが昼休みと放課後に将棋を指すという将棋ブームが到来し、そこで覚えました。
しかし福島の田舎の小学生であった私は、自己流の居玉棒銀しか知らず小学生の間は玉の囲いは全く知りませんでした。
小学生から中学生になる時の春休みに市の小学生の大会に初めて出場しました。当時は四間飛車ブームで私の対戦は全て居玉棒銀vs四間飛車だったと思います。今考えると戦形的には不利ですが、実戦で鍛えた腕力で予選を2連勝、トーナメントも勝ち抜きましたが、居玉では限界がありベスト8で討ち取られてしましました。
その後小学生大会で友達になった人に紹介されて福島将棋センターに通う事になり、この時実力は3級と認定されました。「但しこれからは、本も読んで玉もちゃんと囲うようにしなさい。」と師匠から言われ早速カニ囲いをマスターしました。


中学生時代〜対振り急戦

当時、急戦をされるとどうしてもやや不利になってしまう振り飛車戦法。自らの角道を止めて飛車を転換するという序盤の数手を当時の私は奇異に感じていました。
もしこの緩手とも思える手を咎められれば、振り飛車側は一手の悪手もないのに負けるということもありえるはずだ。そうなると振り飛車は戦法として本当に成立するのか?この疑問が当時私の頭の中を駆け巡り、私の対振り急戦人生が始まりました。
あれから20年程経ち沢山の振り飛車強豪と闘い、振り飛車は優秀な戦法という事がよく分かりました。でもこれからも挑戦は続けていくつもりです。


高校生時代〜強豪にもまれる

元奨励会の師匠は顔が広く毎週末には色々なアマ強豪が道場に遊びに来ていました。師匠はもちろんの事、その仲間の元奨で朝日アマ名人になった事もあるK氏や、同じく元奨で支部名人になった事もあるN氏などにもまれて、高校生の時に何度か県代表になる事が出来ました。でも当時は全然弱くて今の甲府サロン中央や翔風館の若手と闘ったら、私はボロボロになっていると思います。


青年時代〜なめるんじゃねえぜ(アクセント注)

普通の人に対しては一度もありませんが、ヤクザチックで対局態度が極端に悪い人や意味なく威張っている人を見ると若い時の私は頭に来る事がしょっちゅうでした。
でも勝負の世界ですから悔しかったら将棋で返すしかありません。たとえ相手がプロ棋士であってもそれは自分にとっては同じでした。
二十代前半の頃私は某中堅プロ棋士と研究会で将棋を指して、その後の打ち上げの席で将棋の事でバカにされた事がありました。その時は何も反論しませんでしたが心の中では、「俺はあなたには絶対に負けない。なめるんじゃねえぜ。」と心に誓いました。数ヵ月後雪辱のチャンスが生まれました。私は負けたら自分の将棋人生は終わりのつもりで、命でもある急戦矢倉を選びました。某中堅プロ棋士に悪手は一手もありませんでしたが、完璧に仕掛ける事が出来て完勝でした。「何か言い訳してみろよ。コノヤロウ。」と心の中で思いながら睨みつけてやったら「いやあ〜完敗でした。この素晴らしい仕掛けを、今度僕の雑誌の講座で使わせて貰ってもいいですか?」と思ってもいない返事が返って来ました。実はこの人、酒を飲むとむちゃくちゃ言いますが、将棋に対してとても厳しいだけの方のようでした。それからは将棋で一目置いて貰えるようになり、なめられるような事はなくなりました。なめるんじゃねえぜ(アクセント注)


翔風館との出会い

今から13年前に社会人リーグが発足しました。
初年度は当時通っていた西日暮里道場のチームで参加をしていまして、周りは楽しい方ばかりで、私自身とてもいいチームだと感じていました。ですがその一方で同じ西日暮里から参加している若手中心の極真会(現翔風館)チームにとても憧れていました。しかし極真会は誰でも入れるわけではなく、当時の私にとっては雲の上の存在でまさか入れるとは思ってもいませんでした。当時は館長の晃さんはじめ、新井さん、橋下さん兄弟、浅井さん、遠藤さんなどが中心に活躍していたと記憶しています。社会人リーグの一年目が終わった時、訳あって私の所属する西日暮里のチームが解散する事になりました。私は来年からリーグに参加することが出来なくなってがっかりしていたところ、晃さんから「良かったらうちのチームに入らないか?」と声を掛けられました。物凄く嬉しかったです。何と言うか好きな人に告白された気持ちです。それから私の翔風館人生が始まりました。その後は新しい人が沢山入り、今は有望でかわいい若手も沢山います。これからも翔風館の為に頑張って行きたいと思っています。ずっと言えませんでしたが、館長、あの時声を掛けて頂きありがとうございました。


甲府サロン中央の方達との出会い

あれは4年位前の東日本支部名人戦でした。一回戦で北海道代表の俊雄さんとの渡辺決戦を制して一息ついていた所へ応援に来ていた遠藤正樹さんが駆け寄ってきて、「一回戦はよくやった。これで三回戦までは順当に行けるだろう。ただ三回戦の相手は恐らく山梨の若林さんだと思うけど強敵だから気を引き締めた方がいいよ。」とアドバイスしてくれました。
結局若林さんは手前の二回戦で敗れてしまい対戦は出来ませんでした。若林さんの名前は全国大会などで見て元々知ってはいましたが、滅多に将棋の事では褒めない遠藤さんの言葉の事もあり、若林さんは僕の記憶の中に強く残りました。
その年の夏に甲府サロン中央と翔風館の交流戦が実現しました。出向いて感じた事は若手から年配の方までの幅広い層で広い山梨県をほぼ一枚岩で固めている事、そして後進の育成がしっかりしている事。それから当たり前の事かもしれませんが、みんな対局礼儀が正しく明るい性格の人が多い事。翔風館と共通の部分が多くとても感激しました。
最後に田中支部長、若林さんはじめ甲府サロン中央の方々、これからもよろしくお願いします。


次のバトンは翔風館で同い年でもあるシャノン/若林功君に渡します。



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