リレーエッセイ 吉田 昌弘 第19回
吉田 昌弘






この度、鳥居君からバトンを受け取った吉田です。当支部では一年生です。今後も宜しくお願いします。


1.出会い
 私の場合も皆様同様、小学校の同級生に将棋を教えてもらうところから始まりました。しかし、それほど熱中せずに中学生に。中1の時、ふと将棋の本を見て何故か一生懸命になり始めます。市内のおじさんしか居ない道場にも行き始めました。高校では通う道場が変わりましたが、いいトコ“道場三段”。当時はアマ名人戦しか知らず、東西南北に分けた地区予選を抜けられなかったため、目標が「アマ名人戦県大会本戦出場」ですからレベルの低さがわかりますね。しかしその目標もかなり難しく達成出来ませんでした。

2.きっかけ
 社会人になり、道場はまた変わります。その頃地元では強い人が何人かおり、毎週のように実戦。おかげでだいぶ強くなってきました。しかし所詮“道場四段”。まだまだ県大会は遠かったです。二十歳の頃にやっと“飯能では三本の指に入る”くらいになれました。まあ他にはおじ様ばかりですから威張れませんが、当時は嬉しかったです。ところがある大会をきっかけに様々な出会いが始まります。それは“竜王戦埼玉県予選”。二十歳の時に出場し、当時の棋力では考えられない準優勝!これが新聞地方版に大きく掲載され、少し名前が売れました。

3.転機
 いつの大会だったでしょうか?私に声をかけてきた福島訛りの彼こそが、後に“生涯のライバル”となるH君でした。彼は僕と同じ年ながら、すでに福島、埼玉ともに代表歴がありました。“研究会に参加しないか”といわれ、強くなりたかった僕は即“お願いします”。そこで紹介されたのが翔風館の鈴木館長でした。その後は素晴らしい仲間達と出会い、時には敵となり、時には同士となりながら、北斗の拳でいうところの“強敵(とも)”の関係となるのでした。

4.現在
 こうした中で山梨の方々とも出会うことが出来、ますます素晴らしい仲間が多くなっています。これも田中支部長さんをはじめ、皆様方のお陰です。“将棋やってて本当によかったなあ〜”と思うのは強敵に勝った時よりも、共に戦った仲間達と懇親を図っているとき。やっぱり共に認め合った仲間だからこそ、言いたい事も言えるんだなあ。まあ、なかには未だに認められてない方(○○君、弱過ぎ〜とか)、意地でも認めたくない関係(あいつにだけは“ずえ〜ったいに”負けないよ〜!とか)もいらっしゃるかも知れませんが…。それもまた“良し”でしょう…?

5.これから
 この素晴らしい関係はただ一つのことから始まりました。それは“将棋”という共通の趣味です。しかし、今はそれだけの関係ではなく、“自分の人生における重大な存在”となっていることでしょう。もし、あの時大会に出ていなければ…全てはそんなとこからはじまるのです。これからもこの貴重な出会いを大切にして、良き“強敵”としてお付き合いいただきたく思います。

6.最後に
 今、私達の仲間には後輩が増えてきました。自分に出来ることは自分達が先輩にしていただいた事を、少しでも後輩に返す事。将棋を指すだけではなく、それ以外の事でも手助けは出来ると思う。後輩諸君もまた後輩が出来てくると思うが、そういう気持ちをもって接してあげて下さい。そうやってみんな大人になるのだ。余計な事ながらひとことでした。

拙文にお付き合いいただき有難うございました。次の走者はもちろん“生涯のライバル”渡辺久記君です。主将!頼んだぞ!



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