リレーエッセイ 大槻 敬 第16回

『師匠』
大槻 敬






新ちゃんからバトンを受けた大槻です。甲府サロン中央支部、翔風館のみなさんとはいつも仲良くさせていただいています。今回は何を書こうかなあとは思いましたが、現在、私の将棋との接し方に大きな影響を与えているものの1つである私の師匠のことを中心に書こうと思います。

1)自己紹介
 昭和40年生まれの38歳で、実家は仙台から電車で南に20分ほどの宮城県の柴田町という片田舎にあります。同学年には、東北大OBの高橋 聡君や山形大OBの加藤 善隆君などがおります。
 棋暦としては、高校選手権県大会準優勝(高校3年)、朝日アマ名人戦南関東予選ベスト8(2000年)、アマ名人戦大阪府予選ベスト8(2002年)ぐらいで、あまり目立った活躍はしていません。ひそかな自慢としては、近代将棋の詰め将棋コーナーで20ヶ月連続正解できたことで、100手前後の煙詰を解けた時にはとても感動したことを覚えています。

2)師匠
 そんな私が将棋を覚えたのは、小学5年生の頃で、とにかく月刊誌を読むのが好きでした。当時は、近代将棋、将棋世界、将棋マガジン、将棋クラブの4冊を買って、時間があれば本を読んで、棋譜を並べていました。とはいえ、意味もなくただ並べているだけでしたので、4,5級ぐらいまでしか強くなれませんでした。
 そんな私に転機が訪れたのは、中学1年生の春の頃でした。いつものように本屋で将棋世界を読んでいると、後ろからその様子をじっとながめていた方がいらっしゃいました。その方こそ、私の師匠である鈴木 つとむ東支部名人です。ふと先生と目が合うと、先生は「この詰め将棋解いてごらん」と将棋世界の初心詰め将棋を指差したのでした。当時は5手詰めぐらいまでは解けていましたので、詰め手順を披露したところ、「ふ〜ん、じゃうちに来て指してみるか。」とおっしゃってくれたのです。普通なら警戒するところでしょうが、何かこの方なら大丈夫だというオーラを発していましたので、即座に「はい、行きます。」と言って、先生のお宅に伺うことにしました。その時は、4枚落ちで2局指しましたが、1勝1敗でした。1局目はあっさり負けてしまい、2局目は2枚落ちの二歩突っ切り定跡を使ってしまいました。その日の帰りには、木村十四世名人の「将棋大観」(平手定跡も載っている、ものすごく古いやつです)をお借りして、それから先生に教えていただくことになりました。
 鈴木先生には毎週日曜日2局ずつ教えていただきました。土曜日に先生のお宅に電話して、OKをもらうと、とてもうれしかったです。OKをもらえなかった時は、次の日曜日がとても待ち遠しかったです。こうやって続けていた甲斐あって、先生との手合いも中学3年の時には2枚落ち卒業のレベルまで棋力が向上していました。しかし、この先が長かったのです。飛香落ちになってから、全く勝てなくなったのです。一生懸命定跡を覚えて、本でこれにてよしという局面に持っていっても、勝ち切れないのです。自分が情けなくて何度も何度も悔し涙を先生の目の前で流しました。結局、飛香落ちが卒業できずに、中学を卒業することになってしまいました。
 鈴木先生は、私が通っていた高校(ちなみに白石高校といって、高校選手権で3位になった塚目君も同じ高校です)の数学の先生ということもあり、高校に入ってからも指導を受けていましたが、手合いは飛香落ちのままでした。そんなある日、先生から「この詰め将棋解いてみれば。」と差し出されたのが、近代将棋の詰将棋鑑賞室でした。詰将棋鑑賞室には21手詰めぐらいまでの詰め将棋が8題掲載されていて、全題正解すると名前が載ります。先生から話をいただいてから、毎月近代将棋を凝視する日々が続きました。初めは手数が短い1,2題しか解けませんでしたが、段々と解ける問題が多くなり、高校1年の終わりぐらいには、全題解くことができ名前が載るようになりました。するとどうでしょう。それまで全く勝てなかった飛香落ちが勝てるようになったのです。その時、初めて私は終盤の力がいかに大切かということに気がついたのでした。
 飛香落ちを卒業すると、飛落ちもすぐに勝てるようになりました。次は角落ちか、と思っていたら、先生から「平手で指してみるか?」と信じられない言葉を耳にしました。正直言って、先生と平手で指すのはまだ早いと思っていましたので、その言葉をいただいた時はとてもうれしかったです。しかし、もっと驚いたのは、平手で指してから3局目に先生に勝つことができたのです。「石の上にも3年」と言いますが、いい指導者と長年続けられる根気があれば、だれでも道場四段になれる、とは先生から教わったことであり、私の信念でもあります。

3)最後に
 とある縁で、8年ほど前から神奈川県藤沢市にある村岡公民館というところで子供将棋サークルを開いていて、月2回程度子供たちに将棋を教えています。現在、20名弱の生徒がおり、指導は10枚落ちから始めて、2連勝したら1枚駒を増やしていく、というやり方をしています。いろいろな教え方があるとは思いますが、この教え方は鈴木先生との経験がベースになっているものです。端山徹也君など、この教え方で強くなっている子もたくさんいて、当分はこのやり方を続けようかな、と思っています。興味のある方は、村岡子供将棋サークルの掲示板
 http://6602.teacup.com/muraokakodomoshogi/bbs
をのぞいてみて下さい。ご父兄もいい方たちばかりですので、手前みそですが、とてもいいサークルではないかと思っています。村岡子供将棋サークルについては、次の機会にでもお話ししたいなあと思っています。
 これからも将棋に関心を持ってくれる子供たちを1人でも増やすように努力することが、鈴木先生への恩返しになると信じて、子供たちへの指導を続けて行こうと思っています。
 こんな私ですが、これからもサロ中、翔風館のみなさん、よろしくお願いします。

投稿遅くなってすみませんでした。

次の投稿は、社団戦でお世話になっている 秋山 博 さんにお願いいたします(本人には承諾をえています)。


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