リレーエッセイ 斉藤 新介 第15回

斉藤 新介






同じ若研メンバーの小堀響乃介君からバトンを受け、今回リレーエッセイをかかせて頂く、新之介こと斉藤新介です。自分に指名されたので何を書くか非常に困りました。いろいろ考えましたが、将棋との出会い、サロ中メンバーとの出会いについて書きたいと思います。非常に下手な文で分かりにくく、間違えもあると思いますが、お許しください。お付き合い、宜しくお願いします。
僕が将棋を始めたのは、小学校一年か二年ぐらいのお正月に、父に将棋を教えてもらいました。小学校の時の僕は、環境には恵まれていましたが、強くなることが出来ず大会に出ても結果を残すことが出来ませんでした。
自分が中学の時は、中学二年の頃までは、大会に出ても結果を残すことが出来ませんでした。結果が残せるようになったのは、中学三年の時に、米長杯に参加をし、運良く決勝まで行くことが出来ました。その決勝の相手は一瀬君でした。当時一瀬君は強かったので有名でした。その決勝の時の将棋は、なぜか相がかりでした。当時の僕は相がかりの将棋をよく知ってなく、なれない将棋をしたので、すぐに負かされてしまいました。決勝の感想戦を多くの人たちが加わる中、感想戦をしました。その一人が、若林さんでした。その時に、始めて若林さんを知りました。
自分が高校になってからは、高校一年の頃大下さんと飯豊の将棋処で出会い、高校二年の頃、若宮さんが開いてる竜王将棋囲碁クラブで井上君に出会い、三年の頃は、竜王の文化協会で古屋君に出会いました。高校の時の僕は、一般の大会では結果を残せなかったのですが、県の高校竜王戦では二位や三位になったこともありました。
社会人になってからは、山梨では決まった大会しかないので物足りず、近県に遠征に行ったり、将棋まつりに行ったり、お正月には大下さんに誘われ、サロ中のお正月の大会にも行ったことがありました。その時は、大下さんは支部に入っていましたが、自分と父は支部に入っていませんでした。自分は近県に遠征にとかに行くようになったあたりぐらいから、将棋に熱が入りました。
それから、ちょっと時が進み三年前の話になりますが父が県の竜王戦と赤旗名人戦で優勝したことがありました。二回優勝したからか、田中さんに、うちの支部に入らないと言われ、入ることになりました。その次の年のお正月の大会に行った時に、倉沢さん、善光さん、石井さん、得立さん、前田さん、鈴木さんに出会いました。その年の八月に初めて翔風館との交流戦に参加しました。
それからまた時が進み、一年前の杉野さんの結婚式で、田中さんと若林さんに翔研に行かないと言われ、僕が行きたいですと言うと、じゃあ鈴木さんに頼んでごらんと言われ、鈴木さんに頼むと、こころよくOKしてくれました。それから翔研に行くようになりました。その年の夏頃、山内さんが子供教室を開くというので、僕も行きました。そこで、小堀響乃介君と、お母さんの小堀裕子さんと出会いました。
そして今年、ある大会で、僕の将棋を若林さんが見ていて、あんな将棋をやっているようではだめだねといわれ、僕がパワーアップするために、若研を開いてくれました。
日頃皆様には良くしてもらったり、お世話になっていますので、もっと強くならなきゃいけないと思っています。これからもまだまだ弱い僕ですがご指導よろしくお願い致します。下手な文で分かりにくかったと思いますが、最後までお付き合いありがとうございました。

次は、大槻さんにバトンを渡したいと思うのですがよろしいでしょうか?





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