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![]() 『翔風館という名称誕生のきっかけ』
鈴木晃
甲府サロン中央支部・相談役
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こんばんは。 ではリレーエッセーの第4回の投稿させて頂きますね。 正直言って翔丸たんの力作を次ということで困り果てたのが現状です。 支部戦の話とかにしようかと思ったのですが、ちょぴっと変わったお題で皆様のお目ししたいと思います。 将棋を覚えたのは小学校3年生くらいの時だったでしょうか。 ありませんでしたか?一度くらいクラスで将棋が大流行したことって?そしていつのまにかルールを覚えてしまうことって。 そうやって将棋というものに興味を持ち、中学高校と将棋部で指しつづけてはいましたがちっとも強くなりませんでした。 高校を卒業して、とある大学の将棋部に入った時の棋力は連盟道場で初段くらいでしたもの。 「三段くらいになれたらいいなあ」 高校生時代に考えていた最終到達目標がこれでした。 まぁまったりと将棋が楽しめればという程度だったのです。 でも、大学将棋部に入ったことで私の将棋人生は大きく変わっていったのです。 部に入ったとはいってもあまり熱心でなく、キャンパスライフを楽しみながら適当にやっていたそんな私の前に現れたのがAという同期でした。 Aは強かった。 それもそのはずです。 幼い頃から将棋に打ち込み、ちょっと知られた存在だったからです。 このAとは妙にウマがあい、部室で将棋を指すだけでなく、一緒に道場に行ってはAの知り合いを紹介してもらって将棋を教えてもらうなど世話になり、いつのまにか最終目標だったはずの三段位の棋力になることが出来ました。 (余談ですが、その知り合いの一人である浅井千晶氏は今でも社会人リーグの翔風館チームで出場しております) しかし、その位では将棋部のレギュラーとして団体戦に出場することなど出来るはずもありませんでした。 そんな自分の力不足を後悔したのは大学三年生の時のこと。 三年ぶりの王座戦(全国から10チーム選抜されて日本一の大学を決める団体戦)に出場することが出来ました。 しかし初戦で負けてしまい、三勝一敗で初日を終え、優勝戦線に残るには翌日の初戦であたる全勝の東京大学に勝つしかないという状況でした。 夜もふけて日付も変わろうという頃、私の目に飛び込んできたのは東大戦に出場する選手の選抜に迷う主将のAの姿だったのです。 廻りの雑音に思い通りのオーダーが組めず悩みつづけるA。 「なんで俺はこいつの力になってやれないんだ」 このときほど自分の弱さを後悔したことはありませんでした。 でも結局出来たことは一つだけ。 「Aが決断したことが正解だよ……」 こんな気休め程度の言葉をかけてあげることだけでした。 それから2年の時が流れました。 社会人になっても私とAの友情は続いておりました。 たまたま私の就職先がAの家から車で30分ほどということもあり、よく会っておりました。 その時によく話題になっていたのが「参加者に制限のない団体戦があったらなぁ」というもの。 「好きな奴と組んで出場したいよ」 Aの言葉に頷く私。 その当時は支部を結成するなどは思いもよらず(というか、会費が現在よりも格段に高かったこともあってありえない話だと思っていました)、道場対抗戦に出場をお願いできる道場もなく(これも、現在と比べると「道場連合会に入っている道場」の対抗戦の色合いが強かったです)かなわぬことかと思っていました。 そんな時に飛び込んできた朗報が「参加者に制限のない社会人リーグというものが開催される」と言うものだったのです。 Aと私は飛びつき、私の学生時代のバイト仲間であった橋下清志氏がやはりメンバーを集めていたこともあったため合体して「西日暮里極真会」というチームを作り平成2年、第1回の社会人リーグに挑みました。 その時の成績は24チーム中4位。 まあまあの好成績でしたが、個人的には優勝戦出場をかけた一戦(このときだけ赤白12チームずつの総当りを行って順位決定戦を行う方式でした)で大逆転負けをしてしまいまたしてもAの役に立てなかったことが悔しかったです。 その次の年。 「極真会」の代表であった橋下君が就職のため企業チームに移籍することになり、Aと私でチーム運営をすることになりました。 そこで出たのがチーム名の変更。 「お互い好きな文字を持ち寄ろう」 そう言ってAが提示したのが「風」でした。 私が提示したのが「翔」……。 そうです、この2文字をあわせて「翔風」そして「会だとゴロが悪そう」と言うAがさらに「館」の文字を提案。 かくして「翔風館」が誕生したのです。 平成3年の春の話でした。 これが「翔風館ってどういう意味なの?」という質問(時々あります)の答え。 当初は違和感を覚える時もあったけれど、今ではすっかり耳になじんでいると思います。 そしてもう一つ。 Aとはその後、お互いの仕事が忙しくなったりしたこともあってなかなか会えない状態が続いています。ちょぴっと残念。 でも、また声をかけたいなあ。 「団体戦一緒に出ない?」って。 大学3年の時も、社会人リーグの時も、そしてその後に一緒で出場した道場対抗戦でもAの役に立てなかったから、もう一度リベンジしたいから。 気持次第の「サイコガン」が火を噴いてくれれば、以前より頼りになると思うんだけどなあ……そうだよね、常ちゃん・りょーちん……。 次のバッターにはAと研究会で指したことのある唯一の若手であり、次代の翔風館をになってほしい期待を込めて和井田祐司君を指名します。 よろしく、わいちゃん! |
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第5回 「和井田祐司」 へ |
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