リレーエッセイ 井上慧一 第2回
井上慧一





 田中さんから念押しの電話がかかってきたので早速かこうとおもいます。僕は今、受験戦争という非常にやっかいな渦に巻き込まれ、身動きがとれなくなっている状態です。当然、僕は勉強が好きなタイプではまったくないので、この状態は苦痛以外のなにものでもないです。いろんな人たちの活躍を耳にする度、「早く将棋が指したい」という気持ちがこみあげてきます。
 さて、いろいろと書きたいことがあるんですが、三つの事項に絞ってみました。
 1〜 何故若林さんは語尾に%をつけるのか
 2〜 何故古屋氏はハゲネタが好きなのか
 3〜 将棋との出会いについて
 今回は冷静に3を選びたいと思います。僕は、小学校4年の時に、将棋なる物をクラブでやらされました。当時オセロ派だったぼくは、このなにやら小難しげなゲームに抵抗がありました。しかし、ルールがわかると、次第におもしろさに気がついてゆき、小学校6年の夏から本格的に将棋をはじめました。
 先生(若宮哲夫さん、ぼくの恩師です)から手ほどきを受け、9月から八王子将棋倶楽部にかよいはじめました。当時、僕は将棋が鬼のように好きで、いつも将棋のことばかり考えていました。その甲斐あってか、八王子でも5ヶ月くらいで三段まで上がることができました。当時の僕は、順風満帆な将棋ライフをおくっていたのです。そんなある日、とある大会でぼくは、一人の少年に話し掛けられました。いろいろと八王子将棋クラブの話を聞かれたのです。それが古屋皓介くんとの出会いでした。中学入学初めころ、サロ中の若林さん、田中さん、杉野さんと出会う前のことでした・・・。
 古屋君は当時から強く、僕のスピードを塗り替えるかのような昇段スピードで、あっというまに4段に駆け上がりました。そのときからぼくの順風満帆な将棋ライフは、恐怖にも似たスリル感に変わっていたのです。マジでビビりました。しかし古屋くんというライバルの出現は、僕には必要不可欠なことだったのかもしれません。そして程なくして僕と古屋君は杉野さんの紹介で(本当に感謝しています!!)サロ中デビューを果たしました。
 サロ中にはいってまず初めに感じたこと・・。「暖かさ」でしょう。これはどんなに強い支部や道場でも持ってないサロ中の一番良いところだとおもうんですよ。怒声一喝で誠実な若林さん、女好きの支部長(田中さん)、棒銀一筋の元県名人。。。(のちに史上最大の下ネタおやじが加わりますが)。。僕が今日まで将棋を続けてるのも、この支部だったからじゃないかなとおもいます。

 さて、長くなりましたが結論。
 1・僕はこれからも将棋を指し続けていくということ。
 2・ライバルである古屋氏に完全勝利するためにアマタイトルをとりまくるということ。
 3・サロ中、そして翔風館の方々とこれからも仲良くやっていくということ。 

 以上!!ぼくのエッセイ終わり!!では次は、今か今かと出番を待ち構えている、僕の埼玉初の犠牲者となったヒト、前田さんにバトンタッチをしたいとおもいます@


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