リレーエッセイ 田中陽一 第1回
田中陽一

甲府サロン中央支部・支部長



 さて、今日からサロ中リレ−エッセイを始めたいと思います。まず、ル−ルとして、書いた人が次の人を指名できる。指名された人は、一週間以内に書く。とこの二つを守っていただきたいと思います。さて、私が初回とゆう事ですが、何を書いてよいのかはたと困りました。そこでパイナップルを見てみると、将棋との出会いなどについて書けば、などと書いてあったので、それについて少し書いてみます。私は、小学校5年くらいの時チェスを覚えました。近所の子供と楽しくやっていたのですが、ふと取った駒を使えないかな−と思ったのです。そして、皆に取った駒を使えるル−ルでやろうぜ。と言うと子供の一人が「将棋なら使えるよ」と言ったので、じゃあ将棋をやろう。といった感じで将棋を始めました。この持ち駒再利用とゆうル−ルがとても気に入り将棋に夢中になりました。しばらくして私は、原始棒銀を覚た。するとこれが面白いように炸裂し、近所で負けなしとなったのです。しかし、そうなると友達が指してくれなくなり将棋から離れざるえなくなりました。中学に入っても原始棒銀を受けれる子供はおらず、将棋は、ほとんどやらずに過ごしました。めでたく高校に入学し、クラスの子を将棋でやっつけていると、内田君と言う子が挑戦してきました。やってみると驚いた事に原始棒銀がまったく通用しないのです。しかも、彼は振り飛車とか、矢倉とか私のまったく知らない戦法を駆使してくるのです。この彼との出会いにより私は、将棋を本格的にやりはじめました。甲府西校には、当時内田君、のほか杉村さん、末木さん、玉井さん、など将棋の強い学生がたくさんおり、相手に困らず将棋に打ち込めました。そして、ある程度強くなったところで将棋クラブに指しに行ったのです。そこにナマイキそうな中学生がいたので、一丁もんでやるか、と指してみたところ何回やってもまるで勝てない。この中学生が若林だったのです。以後高校と将棋クラブで将棋を指し、アマ三段くらいになりました。しかし、そこで悪魔のゲ−ムマ−ジャンを覚えてしまい、空白の10年間がおとずれたのです。10年後復活してからの事も書こうと思ったのですが、自分で読んでいてあまり面白くないので次の機会にしておきます。とゆう事で次は、最近受験の為、将棋から離れ気味で心配な井上君に、バトンタッチしたいと思います。


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